「世界が尊敬する日本人100」という雑誌を見ていました。
「Challengers 不可能を可能にする挑戦者たち」の枠組みで、羽生結弦(フィギュアスケート選手)、近藤麻理恵(片付けコンサルタント)の名前が載ってました。
「やっぱりそうだよねぇ、有名だもの」と思っていると、同じ枠組みの中に聞き慣れない名前があります。
笈川幸司(日本語教師)。
そんなに有名な日本語教師ってどんな人?という事で調べてみました。
目次
笈川幸司プロフィールと経歴
日本語スピーチコンテスト必勝指導法 笈川幸司先生インタビュー https://t.co/rUMSqx2OyV #いどばた @nihongo_idobataさんから
— 青山豊 (@mikayutaka) 2019年2月9日
笈川 幸司(おいかわ こうじ)
生年月日 1970年4月20日
出身地 埼玉県所沢市
学歴 日本大学文理学部教育学科(卒業前に1年半、中国へ語学留学)
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1996年衆議院議員の公設秘書を務める
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1997年漫才の道に「NHK爆笑オンエアバトル」「TBSお笑い道場」等に出演
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2001年北京美国英語語言学院で講師に着任
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2002年~2004年清華大学で講師に着任
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2005年~2007年北京大学で講師に着任
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2007年清華大学に復帰
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2011年中国各地の大学を回り、講演会や集中講義を行う活動を始める
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2014年東京大学で日本語教育専門家たちの前で講演
笈川幸司の結婚相手の妻【嫁】は中国人?
「2001年夢半ばで挫折し中国へ渡る」当時31歳。
実は、大学の時に中国へ語学留学に行き、そこで知り合った方とずっと遠距離恋愛をしていました。
中国へ渡ったのは、その人と結婚をする為。
しか~し、待たせすぎたのでしょうか?
5年半という時間は長かったようで、北京に着いた翌日に別れを切り出されたそう。
笈川さんは、自害を考えるほど絶望の淵に立たされ、抗鬱剤を服用していたほど。
となると、奥様はこの方(遠距離恋愛をしていた中国人)ではないですね。
でも別れを切り出されて絶望の淵に立たされても、帰国することなく、中国に滞在し「日本語の講師」を始めます。
そこで、新たな中国人のと出会いがあったのでしょうか?
調べていると、こんな記事を見つけました。
【結婚の報告】 笈川幸司、奈弥(旧姓出口)
連日厳しい残暑が続いていますが、皆様、お元気でお過ごしのこととお慶び申し上げます。
さて、去る7月28日北九州市戸畑区にて、わたくしたちは入籍いたしました。
これからは二人で助け合って暖かい家庭を築き、日中友好のために力を尽くして参ります。
まだまだ未熟な二人ですが、今まで以上によろしくご指導の程お願い申し上げます。
平成23年8月吉日
笈川幸司、奈弥(旧姓出口)引用:http://blog.renren.com/
漢字ばかりのサイトなので中国サイトかとは思いますが、そこに日本語で記載されていました。
「奈弥(旧姓出口)」という事は、日本人?
「出口奈弥」。
日本人でも中国人でもおかしくはないか…。
もっと詳しい情報がないのか調べを進めていくと…
奈弥(なみ)さんは、16歳年下の日本人女性である事が判明。
北京で日本語講師として働いていて、出会ったといいます。
という事は、平成23年(西暦2011年)結婚当時、笈川さん41歳、奈弥さん25歳っていうことになりますね ^^
この結婚がひとつの転機となります。
中国の大学の外国人教師は、待遇があまり良いとはいえない。
それと、特定の大学だけで活動するだけではなく『もっと多くの中国人に日本語を教えてみたい、もっと広く活動してみたい』と笈川さんの夢もあった。
このまま二人で日本語教師を続けていくのもありでしたが、先々の事を考え2013年に起業することにしました。
現在の事業の柱は、夏と冬に行う特訓クラス(約10日間)。
一度の開催で約400人ほどが集まり、開催場を増やせばその数だけ増えます。
これを主な収入源とし、各地で講演会や要請があれば特別授業しています。
まとめ
笈川幸司さん、中国での活動時期が長いので、奥さんはてっきり中国の方かと思っていましたが、実際は16歳年下の日本人女性(奈弥さん)だと判明。
ここまでくると、次はお子さんがいらっしゃるのかどうかが気になって来ました!
結果が分かりましたら、お知らせ致しますね。
そしてこちらは、2013年発行の笈川幸司さん著書の本です。
独立すると、活動の幅が広がりるものですね。