現役時代「朋美スマイル」で一躍人気者となった岡崎朋美さん。
現在は吉本興業に所属し、スピードスケートを広める活動をしています。
でもなぜ吉本なの?と思い調べてみました。
目次
岡崎朋美プロフィールと経歴
参院選の目玉!? 長野五輪で銅スマイル岡崎朋美さん、出馬打診あった 第一声は「芸人としては滑りません」 – 産経ニュース https://t.co/HBhk2zbAox @Sankei_newsさんから pic.twitter.com/RA7WvRI5P3
— ニュースのお時間です (@TSUKASAxJAPAN2) 2015年11月10日
岡崎 朋美(おかざき ともみ)
生年月日 1971年9月7日
血液型 A型
出身地 北海道斜里郡清里町
趣味 バイク・車・ウインドウショッピング・ランニング・自転車
特技 ツーリング
経歴
小学3年でスケートを始め、清里中学校とスケート少年団に所属しますがあまり上達はしませんでした。
それでも高校はスケートの強い釧路星園高校へ進学し、実家から離れて下宿生活を体験します。
インターハイでも4位と無名でしたが、富士急スケート部の監督だった長田照正が高校2年の岡崎を見てその素質を見抜きスカウトされ、富士急行へ所属することになります。
その後、1998年に長野オリンピックで日本女子短距離として初めて「銅メダル」を獲得し、「朋美スマイル」で全国的な人気者となりました。(27歳)
続けてソルトレークシティオリンピックで日本記録、トリノオリンピックで4位入賞を果たします。
現役中の2007年11月24日に、元アスリートの安武宏倫氏と所属する富士急行系列のハイランドリゾートホテル&スパでスケート結婚式を行い、話題となります。(36歳)
結婚後もバンクーバーオリンピックに出場、500メートル16位の記録を残します。
2010年12月23日第一子となる長女を出産(39歳)後、ソチオリンピックに挑戦しますが、選考会で結果が出せず、ソチオリンピックを断念し現役引退を表明することになりました。(42歳)
2015年10月31日付で富士急行を退社、翌11月1日付から、よしもとクリエイティブ・エージェンシーとマネジメント契約を結び、活動の場を広げる意向を表明します。
現在、テレビ・ラジオなどメディアでの活動や、日本全国で講演会やスピードスケート普及活動を行ってます。
39歳で出産した後にもう一度オリンピックを目指すという姿勢は、同じ女子としては想像も真似の出来ないことです。
凄すぎる!
ソチオリンピックを目指し日本を離れた時に、お子さんは大阪にあるご主人のご実家で見てもらっていたそうです。
お名前は杏珠(あんじゅ)ちゃん、可愛いお名前ですね ^^
やるべきことは やった
おなかいっぱい
愛娘 杏珠ちゃん 3歳と
よかったよ ママ の合格点お疲れ様でした
岡崎朋美さんへ pic.twitter.com/l0d0DSLXwQ
— ゆきちゃん (@marinamiries) 2013年12月29日
岡崎朋美の実家は大きな酪農家!
岡崎さんのご実家は、北海道斜里郡清里町。
といっても、どこなのか検討もつかなかったので地図でみてみました。
酪農が盛んな町で、家の周りには畑が広がっていて、冬は一面雪で真っ白。
ヘビやイタチ、キツネなどが道を横切るのが普通の場所。
岡崎さんは、夏には近くを流れる川で魚を釣って遊んだりしていたそうです。
自然の中で育ったのですね。
ご両親も酪農を営んでいて、160頭ほどの牛を飼っていたそう。
父・元さん 母・イセノさん。
岡崎さんは、濃厚な自家製牛乳を水代わりに飲んだり、ご飯に温めた牛乳をかけて食べていたとか。
お茶漬けならぬ牛乳漬け?
それとも、濃厚な牛乳だから…グラタンやカルボナーラに近い感じ…になるのかなぁ?
とてもやさしいお父さんが、一度だけもの凄く怒った事があるそうです。
その理由は…思春期の頃に「低脂肪牛乳」を飲んだから。
思春期の女子の気持ちも分かりますが、お父さんはそれ以上に自分の作った牛乳にプライドを持っていたんでしょう^^
岡崎朋美【吉本興業】との契約のいきさつは?
岡崎朋美さん「よしもとクリエイティブ・エージェンシー」吉本興業とマネジメント契約をしています。
吉本興業といえば、明石家さんまさんをはじめとするお笑いの方々が所属する事務所という認識ですよね?
岡崎さん、お笑いに転職するつもり?…な訳はないので、吉本興業のホームページを確認してみました。
すると「タレント種別」という欄があって
・芸人
・落語家
・文化人
・俳優、声優、タレント
・ミュージシャン
・アイドル
・ダンサー
・パフォーマー
・新喜劇
そして
・スポーツ選手
という具合に分けらけています。
どんなスポーツ選手が在籍しているのか見てみると、かなりの人数がラインナップされていました。
ピックアップすると、石井一久(野球)、井原正巳(サッカー)、大沢ケンジ(格闘技)などなど、元スポーツ選手の名前がずらりと並んでいます。
そこに岡崎さんが入ったという感じですね。
――吉本との契約へのいきさつは?
岡崎「特にこれがきっかけ、というのはないんですが、今までご縁というのを大切にしてきた中で、吉本さんにお声掛けいただきまして。
石井さんともいろいろお食事とかしたこともありましたので。
そんなのでいろいろ聞くと、吉本がスポーツのマネジメントもやっているよと。
吉本と言えば芸人さんというのは、日本全国に知れ渡ってることですが、スポーツということでは薄いということで、石井さんもやられているんですけど。
拡大してるということも伺いましたし、それに私も、女性アスリートだった人間として貢献できたらいいなと。
力を出しつつ、自分の幅も広がるのかなと」
引用:よしもとニュースセンター
吉本興業の中に「ふるさとアスリート」というのがあり、スポーツを通じて社会貢献や復興支援などをしていく場所です。
岡崎さんは、出身地でもある北海道斜里郡清里町を本州、特に南の方の方に知って欲しいという強い思いがあるそう。
それと、フィギュアスケートなどは人気があり試合をテレビでもバンバン放送しますが、スピードスケートはまだその力がない。
まず自分が前に出る事で、スピードスケートを多くの人に知ってもらう事が近道なのではないかと考えたそうです。
実は岡崎朋美さん、2回ほど政界からのお誘いがあったようですが「私はスピードスケートを続けていきます」とお断りしています。
本当にスケートが好きなんだなぁ~と思いました。
これからの活躍で、スピートスケートの試合がゴールデンタイムに放送される日が来るかもしれませんね ^^
まとめ
岡崎さんが幼少の頃から牛乳を水代わりに飲んでいたというエピソードから、知らず知らずのうちに、基礎的な身体づくりが出来ていたように感じます。
その身体が、岡崎さんの努力と富士急行での指導によって、オリンピックで開花したともいえるでしょう。
現役を長く続けられたのも、ご両親の牛乳のおかげかもしれませんね ^^
スピードスケートは、オリンピックの時や様々な大会で特にすごい成績が出た時にしかテレビで話題になりません。
それが岡崎さんの活動によって、世間の動きにも変化が現れるに違いありません。
これからの活動に注目していきたいですね。